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1998年の近畿大学在学中に、作・演出の竹内佑を中心として結成。
現在は竹内佑、丸山英彦、山村涼子、豊田真吾、 米田晋平、田嶋杏子、福田靖久、松下隆、そして座付音楽家・和田俊輔の9名で構成。「おもしろいと思ったことを死 ぬほど自由にやる」という竹内の信念のもと、歌・ダンス・漫才・コント・映像などあらゆるエンタテインメント要 素をポップに散りばめながらも、社会の風刺を取り入れ、文学性が高く、ブラックで混沌とした物語を描く。あく まで"人間"にこだわった作品を提示。人間の本質、感情の極限や暗部を描き、和田俊輔のドラマティックな音楽が さらに作品に深みを持たせて、哀しさや切なさ、愛しさやおかしさを表現している。




2003年10月・2004年1月
第10回公演『煉獄の側で鯖が燃える』
作・演出/竹内佑
会場:HEP HALL(大阪)、王子小劇場(東京)

2004年6月・7月
第11回公演『ちょっちゅ念』
作・演出/竹内佑
会場:駅前劇場(東京)、アイホール(兵庫)
ART COMPLEX 1928(京都、演劇計画「京都芸術センター舞台芸術賞2004」ノミネート)

2004年11月
第12回公演『亜沙子の剥製が路地裏の彼方へ』
作・演出/竹内佑
会場:HEP HALL

2005年4月
第13回公演『散戒』
作・演出/竹内佑
会場:芸術創造館

2005年11月・2006年4月
第14回公演『音速漂流歌劇団』
作・演出/竹内佑
会場:精華小劇場(大阪、精華演劇祭vol.2参加)、駅前劇場(東京)

2006年11月・12月
第15回公演『夕景殺伐メロウ』
作・演出/竹内佑
会場:精華小劇場(大阪、精華演劇祭vol.5参加)、駅前劇場(東京)

2007年7月・8月
第16回公演『輪廻は斬りつける(再)』
作・演出/竹内佑
会場:HEP HALL(大阪)、駅前劇場(東京)




竹内佑

劇作家・演出家・俳優。デス電所代表。1977年12月7日、愛知県出身。高校時代に旗揚げた第1期「デス電所」を経て、 1998年の近畿大学在学中に同級生らと新たに「デス電所」を結成。交友関係は広く、関西演劇界のみならず、バッ ファロー吾郎、ザ・プラン9、小籔千豊など、お笑い界とのパイプも太い。2006年12月『音速漂流歌劇団』にて、第13 回OMS戯曲賞大賞を受賞。デス電所以外では、04年NGKプロデュース『彼女の愛した百鬼夜行』(脚本・演出)、2005年
新国立劇場「シリーズ笑い」-現代劇作家たちによるコント集(コント脚本)、2006年ごまのはえ×竹内佑×山口茜 「77年企画」『マリコの悪縁教室』(演出)などがある




一瞬にして場所がかわる。時が飛ぶ。雑多な要素が介入し、急に別の話が立ち現れる。デス電所の舞台は、明け方にみる怖い夢に似ている。矢継ぎ早につながれる短い場面、因果律の欠落、交錯する複数の物語。眼球がわずかに動く瞬時の間に、多くの夢をみるごとく、すさまじい速度で劇は展開する。

歌と踊りを挿んだ上演は奔放で活気にあふれている。だがその底には、病んだ現代を見つめる陰鬱な眼差しがある。親に愛されぬ幼年期を過ごした青年や、カルト宗教にはまった若者が、コンピューターゲームよろしく次々と人を殺す。奇病で人が石化したり、輪廻して野菜に生まれ変わったりもする。虚無的な風景のなかに、感情を失い、〈物〉になってしまうことへの不安がひそむ。

夢の論理で書かれた物語は、必然的に破綻を抱えこむ。立ち止まって恐ろしい裂け目を覗かぬよう、その恐怖から逃がれるために、劇は疾走する。怖い夢のなかで、私たちが走りに走るように。そして走れば走るほど、怖くなるように。

太田耕人(演劇評論家/京都教育大学教授)


彼らとリアルに出会ったのは、確か7年くらい前。以前勤務していた情報誌の同僚から、「面白い劇団が出て来たよ!」と興奮しながら勧められ、「それなら」と会ってみたのが最初だったと記憶している。そして、彼らの世界に初めて触れたのが『屍キングダム』。もう、とんでもなかった。完成度は非常に低くかったが、「やりたいことをやって何が悪い」という迷いのない勢いと暴れっぷりに衝撃を受けた。観ているときは「どうかなぁ」と思っていたが、なぜか癖になった。以降、近づいたり離れたりしながら、彼らを見続けている。いわゆるデス電所中毒。

最近の作品は、着実に完成度を上げている。今回選出されたことが、動かぬ証拠だ。そんな彼らに、ひとつ注文がある。暴れて欲しい。もっともっとメチャクチャやって欲しい。オトナになれないアナタたちだからこそ創り上げられる、無茶で無謀でバカな世界をオトナたちに見せつけてやって欲しい。今それが関西でできるのは、アナタたちだけなのだから。

金田明子(演劇ライター/精華演劇祭企画委員)


学生演劇の祭典「キャンパス・カップ」(大阪演劇祭企画。1999~2001)に勢いよく、汗くさく登場し、大賞(第2回)を取ったのがデス電所だった。私はそのとき審査委員長をしていたのだが、デス電所を推したことを後悔はしていないし、誇りにも思っていない。ただ、そのとき“イヤな予感”がした。

「こいつら、そのうち、どんどん劇場へ出てきて、芝居するんだろうな。自分らでも気がついていない〈才能〉が、水道管が破裂したように出てきたら、つきあうことになってしまう―」

気がついたら私は季刊「劇の宇宙」の表紙にデス電所を起用し、竹内佑はOMS戯曲賞を取ってしまった。この秋は〈精華演劇祭スペシャル〉に堂々の登場だ。“イヤな予感”というのは当たるものだ。そうして、困ったことにデス電所とつきあうことが、たのしくなってきた私がいるのだ。

小堀純(編集者/精華演劇祭企画委員長)


小汚くて小洒落てるなと。第一印象である。褒めている。劇作家、演出家たるもの、小綺麗だったり、お洒落だったり、あまりよろしくない。うす汚くてもいけない。憐れみを受けるのは財布の中身だけで充分である。私はこの小洒落てるというのが身につかない。こいつがあれば多少小汚くてもワイルドとか、アバンギャルドとか、クールとか、よくわからないがそんな気がする。彼はよく頭にタオルを巻いているが、私が巻けば人の良い休日のおっさんになってしまう。事務局の丸井君だと大掃除のお父さんだ。羨ましい。

彼の芝居もそんな印象だ。ちょうど良い感じで突き抜けている。新しさはあまり感じないが、少し古びたレコード屋で流行りのものよりインディーズの占める割合が大きい、もしくは古本屋、何でも揃えてますけど、よく見れば一貫した好みがさりげなくある、そんなイメージである。私には真似出来ない。今時ではない。たぶん、武士の一分なんかも持っている、気がする。かっこ良いのだ。

深津篤史(桃園会/精華演劇祭企画委員)


イマドキの若者は大変なのだそうです。一見、モノと情報を巧く使っていてアウトサイダーぶってもコギレイなのに……。

表層が洒落ていても、内面にそんな纏まり方だけではおさまらない何かがくすぶっているのが感じられます。

昨年精華小劇場でデス電所を観た折、彼等のよく稽古したであろう踊りに明るさよりこわばりを、醒めた、また人を食ったような科白が焦燥や暴力性を感じさせた。 観ていて私は、イマドキの若者だけでない世を暮らす人間全体が発する「不安の時代」の臭いを嗅いだものだった。 それが生々しく私には不快だった。

「精華演劇祭スペシャル」に登場するのを引き受けた以上、自分達のやりたいことを、やりたいようにやりきって欲しい。周囲の声も大切だろうが、やるのは、あなた達一人一人の属する「デス電所」である。その思い切りをライブステージにぶちまけて欲しい。私はその時の臭いを体感するのをコワイモノミタサで味わいたい。

福本年雄
(ウイングフィールド代表/精華演劇祭企画委員)


新聞社に勤めている私を訪ねてきてくれる演劇関係のお客さんは、他のお客さんとは随分と雰囲気が違う。第一に名前がヘンだ。内線電話で来客を知らせる受付の姉さんの声は、正直、かなり戸惑っている。

「デス電所」もそのひとつ。「で・す・で・ん・しょ」とはっきり聞いたところで、何のことだかサッパリ。そもそも120年以上にも及ぶ弊社の歴史で、首にタオルを巻いたままで受付にやってくる来客は作、演出の竹内佑氏をおいて他にいないだろう。

しかし、だ。こんなヘンな劇団なのに、泣けてしまう。描かれる絶望的なまでの孤独に胸がかきむしられる。殺人や虐待といったグロテスクな作風の奥底にあるのは、小さな幸福すらつかみがたい不条理な世界に対する竹内氏の怨嗟と慟哭。ちっぽけな人間存在への愛情の証しが、そこにある。

とにかく痛い。が、その痛みこそ普遍的であり、かつ現在的なのだ。

桝井政則
(朝日新聞大阪本社生活文化グループ・演劇担当)